2014年12月12日

ベージュアラン・デュカス東京×シャネル銀座 10TH ANNIVERSARY

BEIGE ALAIN DUCASSE TOKYO × CHANEL GINZA10TH ANNIVERSARY SPECIAL LUNCH

先日シャネル銀座がオープン10周年を迎え、シャネルビルのレストランベージュでSPECIAL LUNCHがありました。フランスからアラン・ジュカスさんが来日しお料理を提供してくださる又とない機会を楽しんで来ました。

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アラン・デュカスさんって?

アラン・デュカスは1956年生まれフランス南西部のランド地方出身。現在はモナコ国籍のスーパーシェフ。史上最年少で異なる国でミシュランから3つ星を獲得し、国際的に多様化するお客様のニーズに応えるレストランを世界各国。パリのオテル・プラザ・アテネのレストラン「アラン・デュカス」や、モナコのレストラン「ルイ・キャーンズ(Louis XV)」ニューヨーク「エセックス・ハウス」の他、常に質の高い料理・サービス・技術力で最高のものをお客様に提供することを目指して活動しています。世界中に展開するグループ・アラン・デュカスの代表と共に「シャトー&ホテル・ド・フランス」会長でもあります。 ベージュ_アラン・デュカス_東京

日本においては、2004年銀座のシャネルビル内にあるレストラン「ベージュアラン・デュカス東京」をオープンさせその他フランスのホテルチェーン「シャトー&ホテル・コレクション」青山にあるレストラン「ブノワ」や料理研修センター「ADF」を通じてシェフの教育・コンサルティング、本の出版など数多くの事業を展開しています。

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SPECIAL LUNCHの様子をご紹介

ドアオープン 12:00PM

レントランに着きエレベーターを降りるといつもはお目にかかれないシャネル日本法人社長リシャール・コラスさんはじめリテール&トレードオペレーション部の部長・マネージャーの方々、シャネル銀座のフタッフの皆さんんでお出迎えされ記念写真!その後席に案内されました。

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シャネル日本法人の社長の挨拶から始まりました。

リシャール・コラス シャネル日本法人社長のリシャール・コラス氏は、日本をこよなく愛し、奥様も日本の方。日本に住んで40年、シャネル日本法人社長に就任して30年も経つそうです。日本の文化に精通し、鎌倉市国際親善観光大使も務められ、小説家と多彩な才能をお持ちの方です。

以前雑誌の対談記事を読んだ事があるのですが、コラス社長の話の中で「ブランドというものは、法的に作るものじゃありません。」とお話しされていたのが記憶に残っています。

うん〜なるほど・・!また、「ブランドを作ればそれで終わりというものでもありません」とも。

今回SPECIAL LUNCHのお話しの中でもコラス社長の銀座店への思いと、お客様に夢や希望を与えて進化をしていきたいとのお話しがありました。

「シャネルに関心を持っていただくことと、ベストのサービスと環境の元で商品をお届けできるようにしていきたい。」

さすが、日本式サービスも十分に理解されている方だからこそ説得力がありました。お食事会で直接お話しをさせて頂きましたが、穏やかなでユーモアがあり気さくな、とても素敵な方でした。勿論日本語も大変お上手です。

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今回のシャネル10周年SPECIAL LUNCHはアラン・デュカスさんがお料理を提供したということもあり素晴らしいお料理でした。何度かベージュで食事をしていますが、味付けや食材が違い驚きでした。こんなにも違いがあるは・・・といった感じです。

シャネル・リテール・オペレーションマネージャー MARCさん

今回の会食でお話させて頂いたマーク・イノセンティさん。海と日本・石(宝石)が大好きな素敵な方です。私と好きなものが似ていて楽しくお話をさせて頂きました。日本語も非常に堪能で、久しぶりにステキな男性と出会いました。もしかしたら次期期シャネルの社長候補?と思うってしまうほど、まだお若い(36歳ぐらいかな?)のにとてもスマートな方でしたよ。日本の文化に初めて興味を持ったきっかけは、任天堂のゲームですって。これからのご活躍を心から期待しています。 マーク・イノセンティさん

CHANEL銀座限定10周年記念チェーンバッグ発売中

シャネルファンであれば、必ずゲットしたい「シークインフラップチェーンバッグ!!」ゴールドとシルバーのスパンコールで仕上げているキラキラバッグです。日本国内ですと、シャネル銀座店のみ限定販売している商品です。シャネル銀座10周年記念で発売され、しかも個数限定商品!これはレアなチェーンバッグです。クリスマス・お正月・結婚式・謝恩会などなど、活躍できるシーンがいっぱい。洋服が地味でもバッグがキラキラしているだけで華やかな印象にしてくれますよね。さすがシャネルのバッグですから、下品な感じは全くありません。ご興味のある方は、銀座シャネルに問い合わせてみて下さいね。12月13日の時点ではまだ数個あると伺いました。あっと言う間に売れてしまいますのでお早めに!

銀座シャネル限定バッグ

 

シャネルを造ったココ・シャネルってどんな人?

1883.8.19
フランス中西部・オーベルニュ地方生まれ。父は、業商品のアルベール・シャネル。母はジャンヌ。姉のジュリア、妹のアントワネットその他弟。
1895
シャネル12歳母が死去したため姉と一緒にオーバージーヌの孤児院に預けられる。
1900
シャネル17歳カフェ・コンセール「ラ・ロトンド」で歌手となりこの頃から愛称「ココ」の呼び名で親しまれるようになる。
1903
シャネル20歳ムーランドの洋裁店でお針子として働き始める。この頃エティエンヌ・バルサンと出会う。
1905
シャネル22歳カフェの歌手を目指すが挫折する。
1908
シャネル25歳パリ郊外ロワイヤリュにあるバルサンの屋敷に住み始めバルサン支援でパリ・マルゼルブ大通りのアパルトマンで帽子店をオープンさせる。シャネルファッションの原点となり今日に至ります。シャネルは仕事によってお金だけではなく、女性としての自由を手にし自立していきます。
1909
シャネル27歳シャネル最後の愛人となるイギリス人青年実業家アーサー・カペルの出資で、パリ・カンボン通りで帽子店「シャネル・モード」をオープンさせる。
1914
シャネル31歳第一次世界大戦勃発
1915
シャネル32歳フランス南西部のピアリッツに最初のクチュールハウスをオープン
1916
シャネル33歳第一回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表する。当時の女性はコルセットで体を締め付けている衣装を身にまとい美しいとされていました。しかも、戦争中で物資の不足に苦しんでいる時代の中シャネルは男性用のジャージー素材に目をつけ今までの女性服の概念を一変しました。シャネルのアイディアは、自由な発想と世の中の空気を読むことでいつも研ぎ澄まされていたことでしょう。
1921
シャネル38歳シャネルにとっての初めてとなる香水「シャネルNo.5」を発表。革命的なシャネルNo.5の誕生でモダンな人々がネーミング・容器に魅了されます。ココシャネルのラッキーナンバーが5で、それにちなんでネーミングされたそうです。また「香水をつけない女に未来はない」と明言を残しています。
1923
シャネル40歳イギリスの名門貴族ウエストミンスターと出会いますが、仕事に没頭するシャネルは自由でいるため結婚を選ばず、天下のプレーボーイも今まで出会ったことのない女性で骨抜きにされてしまったそうです。
1924
シャネル41歳協同出資者ピエール・ヴェルタイマーと香水・化粧品を取り扱う「パルファン・シャネル」を設立。当時旅行先のスコットランドで得たアイディアで初めてのツィードスーツを作成したと言われています。
1924
シャネル42歳パリ万国博覧会に出展
1926
シャネル43歳アメリカ版「ヴォーグ」で「リトル・ブラック・ドレス」を掲載
1929
シャネル46歳ショルダーバック・スキンケア製品を発表
1930
シャネル47歳ハリウッドプロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンと映画衣装契約を結ぶ
1931
シャネル48歳ハリウッドに渡り映画「今宵のひととき」で、グロリア・スワンソンの衣装をデザインし、装飾デザイナー兼インストラクターでもあるポール・イリブと親密になる。
1932
シャネル49歳初のジュエリーコレクションを発表。映画「仰言ひましたわネ」の愛な・クレアーの衣装をデザインする。
1934
シャネル51歳ホテル・リッツに住まいを移す。
1935
シャネル52歳事業は最盛期を迎え、従業員数4000人に達する。イリブが死去。
1937
シャネル54歳コクトーの舞台「オイディプス王」「円卓の騎士」で衣装をデザイン。
1939
シャネル56歳第二次世界大戦勃発とともに香水・アクセサリー部門を残し、カンボン通りの店を閉める。3000人近い従業員を解雇。
1940
シャネル57歳ホテル・リッツスイートルームから小部屋に移る。
1950
シャネル67歳マリリン・モンローが「夜寝る時にはシャネルのNo.5だけをつけて寝る」と発言し話題となる。
1953
シャネル70歳アメリカからパリに戻る。ウエストミンスター公爵、死去。
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1954
シャネル71歳カンボン通りの店を再開。かつての従業員を呼び戻し2月5日カムバック第一回のコレクションを発表。フランスでは酷評されるが、アメリカで好評される。
1955
シャネル72歳キルティングバック「2・55」を発表。
1957
シャネル74歳「20世紀もっとも影響力のある女性デザイナー」としてアメリカ・ファッション業界のオスカー賞受賞する。
1958
シャネル75歳映画「恋人たち」でジャンヌ・モローの衣装をデザイン。その後86歳まで数々の衣装をデザインし精力的にこなして行きます。キャサリン・ヘプバーンが主演したミュージカル「ココ」がニューヨークのブロードウェイで上演される。
1970
シャネル87歳香水「シャネルNo.19」を発表。
1971.1.10
シャネル88歳1月10日住居にしていたホテル・リッツで死去。亡くなる前日までコレクションの準備に取り組んでいたそうです。コレクションは予定通りに行われ、追悼コレクションは大成功しました。(「ココ・シャネル女を磨く言葉」より)

どうでしょうか?当時の時代を考えると、なかなかココ・シャネルのような波乱万丈で壮絶な人生は送れません。毎年毎年何かが起こり、その度に大きなステップを踏んで決断してゆく姿は、力強さ・エネルギーを感じます。生前シャネルの言葉で「モードは殺すために作られる」と言っていたそうですが、この産みの苦しみを物ともせず常にチャンスを掴みチャレンジするスケールの大きさ、きっと当時の女性では考えられなかったでしょうね。長い年月が経った今でもしっかりとココ・シャネルの精神はすべての製品に受け継がれています。これぞ、トップブランド!

 

<シャネル流おもてなし!?>

私もベージュ&シャネル銀座10周年記念のお食事会に参加させて頂きとても嬉しく、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。又、スタッフの方々の細やかな心配りに感謝致します。

 

 

reiko